第6回 完成は崩壊の始まり

画竜点睛を欠くとは、広くはネガティブに書かれていることが多いのですが、正直間違って捉えられていることが多くあります。辞書を否定することになりますが、これから書くことのようにポジティブに捉えた書き方もありますのでそこは、皆様の感性に委ねます。
まず、「画竜」とは、張という中国画の4大名家の1人とされる絵師です。その張さんが南京の安楽寺の天井に4匹の竜の絵を描きました。そこには瞳が描いていません。張さんは言いました。そこに瞳を描くと飛んでいってしまう。人々は不信感を抱き、デタラメだ目をかけ!と騒ぎになりました。そこで2匹の龍に瞳を入れたそうです。すると2匹の龍は壁を崩し飛んでいってしまった。という話です。今でも南京の安楽寺には瞳のない龍が天井に2匹描かれているそうです。
つまり、完璧なまでに完成をさせるとそこに待っているのは、もはや崩壊、あるいは衰退しかないではないか?と言っているのだと思います。絵そのものの完成、あるいはそのお寺の完成。人々は完成を見た瞬間から、マインドはすでに未来の成長や可能性をみずに頑なに誇りを守ろうとしてしまう。それは世の変化に対して適応していくではなく自分たちの正しさに驕ってしまい新しいものを汲み入れていくマインドの崩壊になってしまう。それを絵で伝えているのだと思います。それは日本の大化の改新以前に中国で起きていた絵師の物語です。徳川家は天下(人々)を守るべく、象徴としての日光東照宮造営にそれを入れたんだと思っています。それが「逆さ柱」です。現代でも、ディズニーランドが常に工事をしているのも、サクラダファミリアが100年やっても完成させないのも、伊勢神宮の式年遷宮も概念は似たようなものではないでしょうか?今も昔も、人種も関係なく、人類がより豊により平和に暮らしていくという発想の中に普遍的な概念としてそれがあるのだと思っています。
2022年01月17日 カテゴリー: コーポレートステートメント
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